私が看板の仕事に関わり始めた頃、会社には文字書きの職人さんがいました。
トタンの看板を前にして、ペンキと筆を使って文字を書いていく。
私は会社の中で、そんな職人さんの仕事を見ていました。
今では、こうした光景を見ることも少なくなりました。
看板の作り方は、この35年以上の間に大きく変わったからです。
そして、お客様がお店を探す方法も大きく変わりました。
昔は街を歩きながら看板を見て、
「どの店に入ろうかな」
と決める人が、今より多かったように思います。
ところが今は、スマートフォンがあります。
Googleで検索する。Googleマップを見る。SNSで調べる。
店に行く前から、料理の写真も、店内の雰囲気も、口コミも分かります。
それなのに、街から看板はなくなりません。
なぜなのでしょうか。
私は、看板そのものも時代に合わせて変わってきたからだと思っています。
昔の看板は、職人さんがペンキで書いていた
私が看板業界に入った頃は、文字書きの職人さんが活躍していました。
今のように、パソコンでデータを作ってプリンターから出力する時代ではありません。
トタンなどの板に、職人さんがペンキと筆を使って文字を書く。
きれいな文字を、手で書いていくわけです。
看板屋には、そういう技術を持った職人さんがいました。
ところが、その後、看板業界に新しい技術が入ってきます。
カッティングシートです。
文字の形にシートを切り、それを看板の板面に貼る。
それまで職人さんが筆で書いていた文字を、機械を使って作れるようになりました。
実際、カッティングシートが普及するにつれて、文字書き職人さんの仕事は減っていきました。
私自身、その変化を看板会社の中で見てきました。
カッティングシートの次に、フルカラーの時代が来た
さらに大きく変わったのが、フルカラーのインクジェットプリンターです。
カッティングシートは、文字やマークを表現するのにはとても便利です。
でも、写真のような表現には向いていません。
インクジェットプリンターが普及すると、それが変わりました。
写真も使える。
細かなグラフィックも表現できる。
色の変化も自由に作れる。
看板で表現できることが、一気に広がりました。
たとえば飲食店なら、店名だけでなく、おいしそうな料理の写真を大きく見せることができます。
店舗の中の写真を載せることもできます。
つまり、店の前を通る人に、
「何のお店なのか」だけではなく、「どんな雰囲気のお店なのか」まで見せられるようになった。
これは看板にとって大きな変化だったと思います。
ネットが進化している間、看板だけが昔のまま止まっていたわけではないんです。
昔は、看板を見ながら入る店を決めていた
看板の作り方だけでなく、お客様がお店を探す方法も変わりました。
昔はインターネットもスマートフォンもありません。
知らない街へ行って、
「何か食べたいな」
と思ったら、街を歩きながら店を探します。
「中華料理」
「喫茶店」
「そば」
「居酒屋」
そんな看板を見ながら、
「ここにしようかな」
「あっちの店の方がよさそうだな」
と考える。
看板そのものが、お店を見つけるための大切な情報源でした。
そして、もう一つ大きかったのがタウンページです。
昔のタウンページは、本当に分厚かった。
看板屋を探すときにもタウンページを開けば、看板会社の広告がたくさん載っていました。
私たちの会社も広告を出していました。
今ならスマートフォンで検索して数秒で済むことを、当時は電話帳や街の看板から探していたわけです。
タウンページの存在感は変わった。でも看板は街に残った
今では、お店の探し方が大きく変わりました。
検索すれば、候補の店がたくさん出てきます。
Googleマップを開けば、現在地の周辺にどんな店があるのかも分かります。
SNSでは、実際に店へ行った人の写真や動画まで見ることができます。
昔とはまったく違います。
では、看板もタウンページと同じように、役割を終えてしまったのでしょうか。
私は、そうは思いません。
看板は今も街にあります。
ただし、昔とまったく同じ仕事をしているわけではありません。
昔は、
「ここに○○という店があります」
と知らせるだけでも、大きな意味がありました。
今は、それだけでは十分ではない店もあります。
店の存在を知る方法が、看板以外にもたくさんあるからです。
だからこそ、看板で何を伝えるのかを考える必要があります。
店名だけの看板でも繁盛している店はある
街を歩いていると、店名しか書いていない看板を見かけることがあります。
しかも英文字で小さく書いてあったりすると、
「何のお店なんだろう。もったいないなあ」
と思うことがあります。
でも、ここは少し注意が必要です。
店名だけの看板だからダメ、という話ではありません。
案外、そういう店が強かったりするんです。
昔から営業している。
地域の人なら、みんな知っている。
固定客がしっかりついている。
昔から通っている常連さんがいる。
そして、何より味がおいしい。
そんな店なら、看板で一から十まで説明しなくても、お客様が来てくれます。
「○○」という店名を見ただけで、地域の人には何の店か分かっているからです。
一方で、オープンしたばかりの店は条件が違います。
まだ店名を知られていない。
固定客もいない。
新しいお客様に来てもらいたい。
そういう店が、昔からある有名店と同じように店名だけを出しても、同じ結果になるとは限りません。
看板に何を書けばいいかは、その店が置かれている状況によって変わります。
看板は「何のお店か」から「どんなお店か」へ
昔は、店名や業種を知らせること自体に大きな価値がありました。
でも今は、看板でできることが増えています。
写真を使える。
店内の雰囲気を見せられる。
商品を大きく見せられる。
言葉を工夫して、店の特徴を伝えることもできる。
立体的な表現もできる。
看板を見た人が、
「ここに店がある」
と気づくだけではなく、
「なんか良さそう」
「おいしそう」
「自分に合いそう」
「ちょっと入ってみたい」
と感じるところまで考えられるようになりました。
私は、これも看板が今でも街に残っている理由の一つだと思っています。
看板は、時代に合わせて伝え方を変えることができる。
ペンキと筆の時代から、カッティングシートへ。
そしてフルカラーのインクジェットへ。
作る技術が変われば、表現できることも変わります。
お客様の行動が変われば、看板に求められる仕事も変わります。
でも、きれいな看板を作ればいいわけではない
技術が進歩して、看板でできることは増えました。
だから看板づくりが簡単になったかというと、私はむしろ逆の面もあると思っています。
特に都市部では、たくさんのお店が看板を出しています。
隣にも看板。
向かいにも看板。
上にも看板。
下にも看板。
さらに車、自転車、人、建物、広告、のぼりなど、街にはさまざまな視覚情報があります。
そんな環境の中では、デザインだけを見れば、
「いい看板だな」
と思うものを作っても、実際に街の中へ設置した途端、目立たなくなってしまうことがあります。
パソコンの画面で一枚のデザインだけを見るのと、実際の街で見るのとでは違うんです。
私は看板を考えるとき、目の前だけではなく、10メートルくらい離れた場所からどう見えるかも重視しています。
看板を見る人は、看板の真正面に立って、じっくり鑑賞してくれるとは限らないからです。
歩きながら見る。
車の中から見る。
他の看板と一緒に見る。
その中で気づいてもらわなければなりません。
看板は、時代に合わせて仕事を変えてきた
私が看板の仕事に関わり始めた頃、会社の中では文字書きの職人さんがトタン看板にペンキで文字を書いていました。
その仕事を、私は実際に見ていました。
やがてカッティングシートが登場し、文字書き職人さんの仕事は減っていきました。
さらにインクジェットプリンターが普及し、写真まで自由に看板へ載せられるようになりました。
一方、お客様の側も変わりました。
街の看板や分厚いタウンページを見て店を探していた時代から、スマートフォンで検索して店を選ぶ時代になりました。
それでも、看板はなくなりませんでした。
私は、それを不思議だとは思いません。
看板は、昔と同じことを繰り返してきたから残ったのではなく、時代に合わせて仕事を変えてきたからです。
そして、技術が進歩した今でも難しいことがあります。
一枚だけ見れば、とてもいい看板。
でも、街の中へ置いたら埋もれてしまう。
反対に、デザインだけを見るとそれほど派手ではないのに、その場所ではよく目に入る看板もある。
看板は、一枚だけを見て考えるものではありません。
街の中に置かれたとき、どう見えるのか。
そこまで考えて、初めて看板の仕事が始まります。
ペンキの時代からインクジェットの時代になっても、ネットで店を探す時代になっても、この難しさは変わりません。
だから看板は、奥が深いんです。





