街を歩いていると、ときどき変な看板に出会います。
私は看板を見ながら街を歩くのが好きで、面白いものを見つけると、つい立ち止まってしまいます。
以前、こんな看板を見つけました。
「じいちゃん、飛び出し注意」
「飛び出し注意」という言葉自体は、珍しくありません。子どもの飛び出しを注意する看板なら、街の中で何度も見ています。
でも、「じいちゃん」です。
私は思わず、
「お、何これ?」
となって、写真を撮りました。
たった「じいちゃん」という言葉が入っただけなのに、いつもの「飛び出し注意」とはまったく違って見えたのです。
「宮内庁御用なし」に引っかかった
もう一つ、忘れられない看板があります。
高田馬場の「まずい魚 青柳」です。
看板には、「宮内庁御用なし」と書かれていました。
これも面白かった。
普通なら「宮内庁御用達」という言葉を想像します。それが「御用なし」。
しかも店名が「まずい魚」です。
商売をしている人なら、普通は自分の商品をよく見せようとします。「おいしい魚」なら分かりますが、「まずい魚」と自分から名乗っている。
そのうえ「宮内庁御用なし」です。
こういう看板を見ると、私は素通りできません。
でも、ここで考えてみたいのです。
なぜ私たちは、こうした「ちょっと変なもの」に引っかかるのでしょうか。
人は「予想と違うもの」に注意を向ける
心理学には、この感覚を考えるヒントがあります。
驚きと注意の関係を扱った心理学研究では、人が予想していたものと実際に起きたことにズレがあると、その出来事に注意が向きやすくなることが示されています。
街を歩くとき、私たちは一枚一枚の看板を真剣に読んでいるわけではありません。
それでも頭の中には、
「飛び出し注意なら、だいたいこんな看板だろう」
「魚を売る店なら、こんなことが書いてあるだろう」
という予想があるのでしょう。
そこから少し外れたものが現れる。
「じいちゃん、飛び出し注意」
「宮内庁御用なし」
そこで一瞬、目が引っかかる。
私の「お、何これ?」は、まさにその瞬間だったのかもしれません。
変なものは、言葉だけではない
私は看板だけでなく、街で見つけた変わったものにもよく目が行きます。
岡山県玉野市の宇野港で見た「宇野のチヌ」もそうでした。
宇野港周辺の沿岸などで集められた漂流物を使ってつくられた、チヌのオブジェです。
最初に見たとき、驚きました。
「えっ、これ、ゴミでできてるー」
魚の形をした大きなオブジェというだけでも目を引きますが、よく見ると、いろいろな漂流物が使われている。
魚と漂流物。
普通なら結びつかないものが、一つになっています。
「じいちゃん、飛び出し注意」は言葉のズレ。
「宮内庁御用なし」は、よく知っている言葉をひっくり返した面白さ。
「宇野のチヌ」は、形と素材の意外な組み合わせ。
種類は違いますが、私が反応した瞬間は似ています。
「何だ、これは?」
人の目を止めるきっかけは、派手な色や大きさだけではないのです。
周りと違うものは記憶にも残りやすい
心理学には「フォン・レストルフ効果」、あるいは「隔離効果」と呼ばれる現象があります。
似たものが並んでいる中に一つだけ異なるものがあると、その異質なものが記憶されやすくなるという考え方です。その後の研究でも、周囲から際立った情報と記憶との関係が研究されています。
ただ、私は「変な看板にすれば、必ず記憶に残る」と言いたいわけではありません。
街には情報があふれています。
店名、価格、メニュー、営業時間、キャンペーン。
どの店も一生懸命伝えています。
その中で、ほんの少しだけ周囲と違う。
ほんの少しだけ、こちらの予想を裏切る。
それだけで、目が止まることがあります。
看板づくりでも、この「ほんの少し」が意外に大きいのです。
狙っていない「変」も面白い
そして、私が面白いと思う「変な看板」は、誰かが笑わせようとしてつくったものだけではありません。
狙って面白くした看板もあります。
一方で、つくった本人はいたって真面目なのに、結果としてちょっと変になっているものもある。
私は、そういうものも好きです。
「なぜ、こうなったんだろう?」
と思ってしまう。
つくった人が意図していたかどうかと、見る人が「何これ?」と思うかどうかは別です。
街を歩いて看板を見続けていると、そんな偶然の面白さにも出会います。
だから私は、街を歩くとき、看板だけを見ているわけではありません。
建物も見る。貼り紙も見る。オブジェも見る。
「お、何これ?」
と思ったら、とりあえず見る。
面白ければ写真を撮る。
そうやって長いこと街を歩いてきました。
「変」は、看板の欠点とは限らない
もちろん、お店の看板をわざと変にすればいい、という話ではありません。
意味が分からないだけでは、お客様には伝わらない。
不快にさせたり、お店のイメージを壊したりすれば逆効果です。
でも、看板を考えるとき、
「きれいにまとめよう」
「普通に見せよう」
とするあまり、街の風景の中に溶け込んでしまうことがあります。
そんなとき私は、少しだけ考えてみます。
ここに「お、何これ?」はあるだろうか。
「じいちゃん、飛び出し注意」も、「宮内庁御用なし」も、漂流物でできた「宇野のチヌ」も、私の目を止めました。
人は、変なものを探しながら街を歩いているわけではありません。
それでも、いつもの風景からほんの少し外れたものが現れると、目が引っかかる。
その一瞬から、看板との出会いが始まることがあります。





